■蜻蛉捕り


 目の前でちらつくのが何かと思えば、人の指なのだった。もちろん指だけが動いているわけではなくて、その先には手と腕と肩とがあって、さらに続いて首、顔がある。顔は、にやにやと笑みを浮かべている。
「……邪魔」
「うん。邪魔してる」
 人を食ったように云って、千里はなおも本を読んでいるわたしの顔の前でくるくると指を回した。それが何かに似ているなと思ったら、蜻蛉の目を回すときの動きなのである。催眠術でも仕掛けるように、千里の細い指が螺旋を描く。その動きを追っていると、急にどこか高いところへぽーんと放り上げられるような心持ちがするような気がした。蜻蛉が目を回すときも、このような衝動に駆られるのかもしれない。だがわたしは蜻蛉ではない。
「じゃま」
 大学の課題をこなすために読まなければならない本だった。流し読みできる類の本ではないので、その分だけ少し神経が、こわばっていた。払いのけようとしたその手を、けれど千里は意外なほど速く、強い力で掴んだ。あんまりすごいので、はっとした。
「捕まえました」
 千里はにやにやと笑っている。すっと力が抜けて、指に指がからむ。手の甲を、熱い指が撫でる。その熱の軌跡が、わたしの末端にも何かを萌させる。
「……つかまりました」
 わたしは本を放り出す。透きとおった羽を荒々しく掴む、無邪気な手を思う。蜻蛉の複眼に、その手はどう映るのだろう。わたしの目に、千里の手は、とても甘い。

 あとで千里に訊いたら、実際蜻蛉を捕まえるのは失敗ばかりだそうだ。




100612
わたしが書くカポーは何故いつも倦怠期くさいのだろうか