■新旧交代


 チャコは明日、チャコでなくなる。

 チャコのほんとうの名前はチヤコである。でも、おかあさんはチャコちゃんとよんだ。だからチャコも、自分のことをチャコと言う。まだおとうとのヒサシがサルみたいな顔をしていたころ、かぞくで市のはずれにある森林公園に遠足にいったとき、チャコを見うしなったおかあさんが大きくチャコちゃん、チャコちゃんとよばわった声はきりきりとして、チャコは今でも思い出すとどきりとしてすぐさまおかあさんのもとへかけてゆかなければならないような気がする。おかあさんが自分をあんじてくれていたのはわかっているけれど、それでもおかあさんのもとへ行かねば行かねばとせく気もちが、どうしてもチャコのむねをがばりっとつかんだのだった。
 それであのとき、チャコはおかあさんのもとへいっさんにとんで帰って、おとうさんとおとうとのいるレジャーシートにふたりでもどった。おかあさんとおとうさんはあんまり広くないシートのはしとはしとにすわって、ヒサシはおとうさんのひざの上でねていて、チャコがまんなかだった。手をめいっぱいのばしてもおかあさんのひざにもおとうさんのひざにもゆびの先はとどかなかった。チャコはふたりにかわりばんこに話しかけた。
 それから、チャコが小学校に上がって間もなく、こんなしょぼついた雨の日におかあさんはヒサシの手をひいて出ていった。チャコの方がずっとおかあさんといっしょにいたのに、ちょっと学校にうつつをぬかしていたらおとうとの方がおかあさんとなかよくなってしまった。こういうことになるならおかあさんも学校に来ていっしょにおべんきょうしていればよかったのにとチャコは思ったけれど、おかあさんといっしょに学校に来ていなくてもおかあさんが家にいる子の方がいっぱいいたから、きっと自分の家がめずらしいのだ。めずらしいことはいいことだとばかり思っていたけれど、そうでもなかったのをチャコは八才にしてはじめて知った。

 チャコは明日、チャコでなくなる。明日、新しいおかあさんがやってくる。
 もし新しいおかあさんが、チャコちゃん、とよんでもへんじはすまいと決めていた。出ていったおかあさんはもうチャコとくらすことはないけれど、はらをいためてうんでくれた(と、おばあちゃんが言っていた)し、小学校まできちんときちんとそだててくれたのだから、そのぎりははたすべきだと思う。
 でももし。でももし、新しいおかあさんが、チャコがこれから中学校に上がって、高校に行って、大人になるまでに出ていったおかあさんよりがんばってくれてしまったら、そのとき、チャコちゃん、などとよばれたら、思わず自分はへんじをしてしまうかもしれない。チャコでなくなったはずのチャコは、もう一度チャコにかえりざいてしまうかもしれない。そう考えるとうやむやとしていたものがとたんにそらおそろしくなって、チャコはふとんの中にぐいぐいともぐりこんだ。
 だいたいぎりというのなら、おとうさんともう一回けっこんしてくれるというだけでもう新しいおかあさんにははたさなければいけないのかもしれない。おとうさんはチャコだけではさびしかったから、新しいおくさんがほしくなったのだ。チャコの力ぶそくをたすけてくれたのだから、新しいおかあさんはひょっとするとチャコが思っているよりももっとたいへんにありがたい人なのかもしれない。
 しめった、あついふとんの中で、チャコは、おかあさん、と小さくつぶやいた。頭の中にふたりのおかあさんの後ろすがたが浮かんで、どちらかが振り向こうとしたからチャコはぎゅっと目をつぶった。チャコちゃん、チャコちゃん、と自分をよぶ声が聞こえてきそうだった。声だけが、耳にのこっていた。
 とんとん、とふすまがたたかれて、チヤコ、おきているのか、とおとうさんのひかえめな声がした。細くあけられたふすまから、黄ばんだ光のもれているのがふとんのすき間からのぞけた。おとうさん、とチヤコはよぼうかと思った。けどなぜだかおかあさんと言いまちがってしまいそうな自分がぽっと浮かんで、チヤコは何も言えずだまってまくらにかおをうめた。




100314
むかーし学生の時に書いた児童文学なのでした