■ランナウェイ


 こんなもん配るんじゃねえよ、と思った。

 別れはいつも教室で、帰りのホームルームが終わるとすぐ
「じゃあね」
 と自分は手を振る。席が遠ければその席まで行って、近ければ少し大きな声で。
 ぼんやり屋の彼女はその声にはっと顔を上げて、自分を認めると、ふわっと笑う。
「うん。またね」
 とか
「バイバイ、部活がんばってね」
 とか。あまり多くないバリエーションが、日替わりでつむがれる。無意識で日替わりなのか、ちゃんと考えているのか、そこは訊いたことはないからわからない。ただたしかなのは、自分の「じゃあね」は、考え抜いた末に云っているということだ。
 部活に所属していない彼女は、授業が終わればまっすぐ帰るだけだった。だから、毎日お別れは教室で行われる。自分はできるだけ長く、短く、その時間を噛みしめる。身を包んだセーラー服が、くしゃくしゃになるくらいには。
 けど別れ際の彼女のその言葉を聞くと、本当は他にも云いたいことはあったのに胸で全部つっかえてしまうから、自分はそそくさと教室を出る。部活の練習着や、教科書なんかを全部詰めこんだリュックが、朝よりもちょっと重い。
 廊下を抜けて、階段を一階分下りて下駄箱、靴を履きかえて運動場へ出る。グラウンドの隅の部活棟へ向かいながら、西日に照らされる校舎の中からさっき出てきたばかりの自分の教室を見上げる。窓際の席ではないから、彼女の姿は見えない。彼女の代わりに、どうでもいいクラスの男子なんかが顔を出していてげんなりする。
 部活なんて、本当はやめてしまいたい。彼女といっしょに帰った方が、ずっと充実している気がする。でも部活にはいるのを決めたのは彼女に出会う前だったし、部活やってるんだと云うと、かっこいいね、と憧れるような眼差しで云われてしまったからやめられない。不純だ、と自分でも思う。真面目にやっている子たちに申し訳もない。ただ不純でも休んだことは一度もないし、たぶん来年はレギュラーだった。
 部活棟へはいるとすぐに先輩たちに用事を云いつけられて、目まぐるしい。考え事をする暇もなく着がえて、準備して、かけずり回って汗にまみれて、日が暮れると部活が終わってまた「じゃあね」を云う。彼女じゃないから、「さよなら」も平気で云える。
 もっと重たくなったリュックを背負い、とぼとぼと部活棟を出る。付き合いが面倒くさくて、帰りはいつも一人だ。他の部活の子たちもほとんど帰ったあとで、最後に部室の鍵を閉めた先輩が、
「じゃなっ」
 と男の子みたいに自分の背中を追い抜き様にはたいて行った。
「痛ってーっす、先輩」
 快活な笑いを残して先輩は校門を曲がって消えた。すっかり日が暮れて、その姿もほとんど暗がりの中だった。グラウンドを大きく迂回して校門に向かいながら、また教室を探す。もう灯りがついていないから誰もいないのはわかっているけれど、昼間のことを少しく思い出してみたりする。今日はいつもよりよく笑っていたな、とか。朝は機嫌悪そうだったけど、何があったのかな、とか。
 西の空に、ひと筋ばかり残っていた橙色の光がかそけく消えていく。対照的に、街灯や家々の明かりがひどくまぶしくて、そして夕日以上にさびしい。
 こんな毎日が、せめて一生続くならいいのにと思う。進んだり、後戻りもしない代わりに、毎日会えるならいいのに。日曜日も土曜日もいらない。学校で、「おはよう」と「じゃあね」をくり返す日々。
 でもクラス替えとか卒業とか、別れの機会なんてしょっちゅうそこらに転がっているものだった。避けて歩こうとしても、いつかは必ずどこかでつまずいたり踏んだりしてしまうものだった。
 だから上手く云わなきゃと、練習しなきゃと思うのに、自分は毎日ごまかして「じゃあね」。
 いつか絶対云わなきゃいけない「さよなら」と、いつか絶対云わなくなる「また明日」が、胸の出口付近につっかえて、それ以上の何かをせき止めている。それは出してはいけないと思うし、でもこのままずっと止めておけるものでないこともわかっている。
 深く息を吐いて、上着代わりのジャージのポケットから、くしゃくしゃのプリントを取り出す。帰りのホームルームで配られた、進路調査票。初めてのそのプリントは、けどきっとこの先何度も現れるだろう。そしてそのうち、この紙に書いたことが、自分と彼女を隔てていくのだろう。そんなことはわかっていた。でもまだ先のことだと、甘く見ていた。まだ二年生なのに、気が早い。舌打ちして、あたりを見回した。あかるいのは、職員室だけだった。人影も、最早ない。
 息を、思いきり吸った。

「ばっきゃろおおーーーーーーーーーーーーーーー」

 職員室ではなく、教室に向かって叫んだ。たぶん明日もぎこちなく「じゃあね」をくり返す自分に、叫んでやった。
「こら…!」
 職員室から、ぱっと人が出てくる。背を向けて、一気に駆け出した。重たいリュックが肩からずり落ちるのを、どうにか支えて走り抜く。

「さようなら」

「また明日」

 それはいつか訪れる春の日に、それはいつか別れる日常に。
 でも今しばらくは、どうか云わせないで。

 目の前が熱く水っぽくて、くちびるが塩っ辛い。
 さよならは、きっとこんな味だ。




091122
女子中学生ソロ片思い