■幕田さんと落合さん (7)


 わたしたちの住む大学寮・トコハ荘(漢字で書くと常葉荘)は、個室十部屋の定員十名だったが、だいたい六人から八人くらいが常に住人として存在していた。少なくともわたしが知る限り、十人きっちり入ったことはなかった。先輩に聞いても、やはりだいたいそれくらいの人数が寮住まいをしているらしい。大学からは歩いて十五分、自転車に乗れば五分もかからず、近所にスーパーやコンビニもある好立地なのだが、満員御礼といかないのはやはりその設備が不十分だからだろう。部屋は六畳一間でキッチン付き、はいいとしても、風呂とトイレが共同な点を嫌がる学生は多い。わたしの友人にも寮住まいを検討した子がいたが、この点を慮って結局やめてしまった。それに、もともとの建て付けが悪いのか、すきま風がたいそうに吹きこむ。冷暖房もあるにはあるのだが、あまり機能している気がしない。その上、門限もある(十一時が最終門限)。
 そんなわけで、月三万という破格の家賃のわりにトコハ荘は常に定員割れなのである。だいたいこの県大に通うのは地元の人間が多く、親元を離れてひとり暮らしをしている者はごくわずかだ。わたしのように将来のひとり暮らしの練習をかねて、近県から通えないでもないけれどもやっぱりちょっとしんどいかも、というスタンスの人間がこの格安の寮に放りこまれている。
 とはいえあと二、三万上積みさえすれば、多少大学から離れるにしても、同じ六畳一間でキッチンにユニットバス付き、冷暖房も完備された部屋に住めるから、実家の懐に余裕がある者はそちらを選んだ。あるいは、一、二年の間に単位とバイト代を稼いでおき、三年になると寮を出て行くというパターンもあった。三年になるとゼミがはじまるので、それと必修科目だけ出席するのであれば、多少大学から離れたところに居を構えても、あくせく通学する必要はないのだから、差しつかえないのだった。わたしもそういうつもりで取れる単位はできるだけ取り、近所のスーパーに週三、四回のバイトを入れていた。トイコさんは入寮当初から卒業まで寮を出る予定がないことを云っており、「最低でも四年はここがあたしの城だ」と、大量の本を持ちこんだり壁紙を張り替えたり、好き勝手に部屋を使っていた。
 わたしはちょっと迷いながら、
「トイコさん、もしかして、さびしい?」
 からかっていいものかどうか、判断しかねて結局真面目っぽい口調になってしまった。トイコさんはふっと鼻で笑って、
「バカ云え」
 と云ったくせに
「さびしいぞ」
 なんて続けるから、ふおっ、とわたしは頓狂な声を上げてしまった。
「だってカズさんいなくなっちまったら、闇鍋とか、サバイバルゲームとか、付きあってくれる奴いないだろ」
「そりゃ、まぁ、…そうだろうね」
 どれもこれもトイコさんが云い出したのに付きあって、一回で懲りたものばかりだった。特にサバイバルゲームで嵌められた落とし穴などわたしの背丈より高く、土にまみれながら這い出るのに相当苦労させられた(掘るのに数日かかったと後から聞いた)。
 そんなものに付きあう阿呆は、そりゃわたしくらいのものだろう。寮生のみんなもライトなものなら付きあってくれるのだが、ヘビーなものになると本能的に危険を察知してか、トイコさんが提案した時点でそそくさと逃げてしまう。そうして逃げ遅れる間抜けが、わたしなのである。
 トイコさんは黙って二本目の煙草に火をつけた。さっきよりも、幾分くっきりと煙が見えた。夜明けが近づいているのだろう。わたしは、ギィ、とブランコを揺らした。心もとない音だと思った。トイコさんも小さくブランコをゆらした。同じような音がした。トイコさんは、どんなふうにこの音を聞いたのだろうかと思った。
 さびしい。
 本や歌や、そこらで頻繁に見かけるその言葉を自分に向けられたのは、そういえば初めてだった。




100104
子どものころ乗れたブランコに尻が入らなくなったときの悲しみといったら