■幕田さんと落合さん (4)


 街灯の下で待っていたわたしに、ほい、と戻ってきたトイコさんは熱いコップを渡した。
 ガラス製なのである。
「……ワンカップかよ」
 それは誰が飲んだものか、よく道ばたに空き瓶の転がっている、件の日本酒であった。トイコさんの手には、ごくふつうの缶コーヒーがある。
「わたしもそっちでよかったのに」
 よくよく見れば、トイコさんの買ってきた自販機は、酒屋に隣接して据えられていた。ワンカップ以外にも、ビールや酎ハイなんかが並ぶ自販機もある。かといって、寒いと云って熱燗を饗されたのは初めてである。何しろ屋外なのである。
 なにィ、とトイコさんは不服そうに鼻を鳴らした。
「カズさんが寒がってるから気を遣ったんだぞ。そっちの方がこれより倍くらい高いし」
 気を遣う方角がおおよそ九十度くらい違っている気もしたが、
「そりゃまぁ、これはこれでありがたいけど。うん、ありがとう」
 一応礼を述べてから、蓋を引く。熱燗はさすが熱燗だけに、実にあたたかい。手にくるむみたいに持っているだけで、ほかほかする。熱の持続性も缶コーヒーより長い気がするのは、ガラスのおかげだろうか。それともやはり中身に関係しているのだろうか。こいつを飲めばあったかかくなれる、という思いがそう思わせているだけかもしれない。いずれにせよ、今大事なのは熱いということである。イエス、ホット。
 一口呷ったわたしに、おや、とトイコさんは意外そうに目を丸くした。
「飲むんだ?」
「え、いかんかった?」
「いや突っ返されるかと思って」
「なら買うなよ」
「ははっ」
 トイコさんは愉快そうに肩を揺らして、あたしにも一口おくれ、とワンカップをすすった。そうして「はー、極楽極楽」と息つく様が、実におっさんくさい。
 トイコさんは外見が外見だけに、実によく男性からモテる。がしかし、中身がこんなだからかしらん、振られるのも非常に早い。そのサイクルたるや、わたしが知る限り最長一ヶ月ですらない。トイコさんに告白してくる男子はたいてい真面目そうな人間が多く、たぶんトイコさんの奇天烈さに惹かれるのだろうが、間を置かずして国破れて山河あり、と至ることが多い。というか多すぎる。
 そのたびに、また振られたぞぉ、と酒瓶を抱えてわたしの部屋を訪れるので、わたしはまだ二十歳になったばかりだというのに、すっかり酒に慣れてしまった。一浪しているトイコさんはわたしより一つ歳上だから、もっと酒に慣れている。同じくらい飲んでも、ほとんど乱れない。わたしも酒豪の父親に似てか、決して弱くはないのだが、あちらの方が一枚上手だ。乱れないけれども酔ってはいるようで、普段より若干陽気になる。だから失恋した直後のわりに、飲んでいても陰気くささはまったくない。最後はからからとあかるく笑って、よし寝ちまおう、とひっくり返るやいなや寝息を立てて、明くる朝はけろりとしている。
 それでもいつだったか、たしか今年の夏の終わりだった気がするけれども、飲んでる最中にいきなり机に突っ伏し、
「ああボーヨー、ボーヨーだよ」
 とこぼしたことがあった。何それ、と訊くと、どこぞの詩人がそう嘆いたことがあったらしい。
「カズさんに云っても仕方ないんだがね」
「じゃあ云うなよ」
 水を渡してやりながら呆れていると、
「わかってもらえないから云うんだ」
「? どういう意味?」
 そのときトイコさんは酔ってはいたが、それとはまた少し異なる意味で、普段と違っている気がした。いつも飄々とした、柳みたいなこの人が、いきなり棘を持ったみたいだった。
「……いや、戯言だ。忘れてくれ」
 トイコさんはしばらくわたしの顔をじっと見つめてから、やがてぼそっと云った。その目が、酔眼のくせにいつになくひやりとして、わたしは初めてこの人のことを少しだけ怖いと感じた。
 トイコさんが酒に乱れたのを見たのは、後にも先にもこのときだけである。




091219
実は自販機で熱燗もやっているかどうかは未確認です