■幕田さんと落合さん (2)


 トイコさんは、大学に入ってから知ったのだった。
 わたしの通う大学は地方の公立大学で、特に著名な教授がいるわけでもなく、したがってとりたてて有名だったり人気のある学部もなく、ほどほどの倍率をくぐってどうにかわたしが合格したのは、漢字がなんとなく好きだから選んだ文学部だった。漢字が好きだったら漢文に強いところへ行けと云われるかもしれないが、この大学にそんな学部はないのだった。どの学部ものほほんとして無難極まりないのがこの大学の特徴で、中でも文学部はその最たるものだった。わたしはその無難極まりなさを買って文学部を選んだようなものだった。トイコさんも同じく文学部だが、動機はいささか異なる。
 わたしの実家は隣県の県庁所在地で、地元の大学に通うという手も無論あったが、公立なら一人暮らしをしてもよいという親の言葉に乗っかって、まんまとこの大学を選んだのだった。さらに住まいをどうするかという段になって、当てがあるのだという親の言葉に任せていたら、まんまと大学の寮に放りこまれてしまった。自業自得というやつだが、仕方ない。一人暮らし用のアパートを探すべく買った住宅情報誌はほとんど読まずに廃品回収に出たわけだが、たぶん残っていたとしてもやっぱり読まなかったと思う。なので、大学寮にさっさと娘を放りこんだ両親の判断は、正しかったのだろう。さすが親である。
 その両親はひとり娘が出ていった後、急に羽を伸ばすようになり、夫婦揃って頻繁に旅行に行くようになった。定年間近の父は休みが取りやすいようで、旅先の土産物(干物とか漬物)がよく寮にも送られてくる。去年の年末、バイトで忙しいから帰省を止めると電話したら、元旦に届いた年賀状は京都で浮かれた町人コスプレをしている両親の写真だった。さすがに親と思いたくなかったが、写っているのはまぎれもなく実の両親なのだった。
 だいたいこんな経緯で入った寮だが、ボロいボロいと思っていた実家と同レベルにボロい建築物であった。といって一人暮らしに夢を抱いていたわけでもなく、むしろ神田川の世界を想像していたわたしにとってはさほどのショックでもなかった。ただまだ冷えこみのきつい三月の夜、すきま風吹きこむ部屋の寒いことには変わりなかった。新入生の歓迎会は全員が入寮する予定の三月末日と昼間聞いていたので、わたしは寮に入った初日の夜をカップ麺で過ごす予定だった。その湯を沸かそうとコンロに向かいかけたとき、
「やぁ、わたしの新しい城はここかッ!」
 と、やたら御機嫌で闖入してきたのが、さもありなん、トイコさんであった。となりの部屋番号とまちがえていたのだった。
「いやぁ、さっきはすまんかったね。あ、これお近づきの印にどうぞ」
「はぁ、ども」
 トイコさんは先輩・同級生かかわらず、引っ越し蕎麦を配り歩いた。その年の新入生で引っ越し蕎麦を配ったのはトイコさんだけだったが、どうも噂によるとこの寮がはじまって以来、そんなことをしたのは今のところトイコさんだけらしかった。わたしももちろんしていないし、今年の新入生も挨拶だけだった。たぶん来年もそうだ。
 トイコさんは寮に入ったその日、配られるだけの蕎麦を配り終えると、何故かわたしの部屋を訪れ、
「ところで君、名前なんだっけ?」
 実はこの質問を発したとき、すでにトイコさんはわたしの部屋に上がりこんでいた。わたしもなぜか座布団と茶をすすめていた。
「幕田カズミ、だけど」
「そう。わたしは落合ってんの。落合トイコ。よろしくね」
「はぁ。トイコさん」
 茶をすすりながら何気なくこぼした一言に、それだ、とトイコさんは手を打った。ぱーん、ときれいな音が鳴った。
「いいね、それ」
「どれ?」
「トイコさん、って云い方よ」
「そう?」
「うん。これからもそう呼んで」
「ああ、うん」
 などとうなずいてしまったが悪縁の始まりか、その日からなしくずしにトイコさんとわたしは友人になった。だいたいトイコさんはその日のうちからわたしの部屋に余った引っ越し蕎麦を持ち込み、ゆがいて食っていったのである。




091212
一人暮らしの条件はうちの親がわたしに提示したものだったりします。わたしは私立行っちゃったので実家通いでしたが